2016/09/26

ニーバーの祈り

アルコール依存症の自助団体でよく使われる「ニーバーの祈り」という文章がある。

神よ、私たちにお与えください。
変えることができるものについて、それを変える勇気を。
変えることができないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを。
そして、変えることができるものと変えることができないものを見分けられる知恵を。
自己責任は50%、自分ではどうしようもないことが50%くらい、と考えている状態が、自分に甘すぎず厳しすぎず、ちょうどいいくらいのバランスなんじゃないだろうか。

―「しないことリスト」pha 

この一説を知って、ヒザを打った。

現在は情報社会で、理屈や問題と触れる前に解答が示されるような歪んだ側面もある社会である。

ものすごく細かく、様々なことに調べるとすぐお答えがでてくる。しかし、あまりに先鋭化しすぎて、あるときは劇的に効くものも、ある条件下では逆効果だったりする。応用がききにくいくらいになっている。問題のどの部分が自分たちでコントロールできるもので、何ができないものなのかを、しっかり見分けないといけない。

自分の場合は、ギターが好きなのだが、頭のなかで浮かんだメロディを弾けばいいのに、ややこしい音楽理論とかで裏付けがないと、急に不安になってしまったりする現象なのかもしれない。

変えられるものを変えられないものだと勘違いして悩んでしまっていることが多いように見受けられる。これは悲しいことだ。


その割に、変えてしまってはいけないものを、粗暴に扱うことがまかり通っていたりするのが現代の無知の怖さである。しっかり勉強しないとな。


何らかの系を粗暴に扱うことで「オレは怖くなんてないんだぜ!」と粋がることは、たぶんうまくいっている短い時間のあいだだと効果はあるが、いったん系に不具合を起こしてしまっては膨大なコストをかけてリスクを回収しなければならないことが多い。長い目で見てあんまり得なことにならない。得にならないことだから、昔の人はそういう戦略を立ててこなかったんだと思う。

残念ながら、自分の才能は小さいので、昔の人が言っている心構えの話は役に立つ。

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